映画評524 ~ さや侍
今回は「さや侍」

『大日本人』『しんぼる』と、独特の視点と感性で作品を世に送り出してきたダウンタウン松本人志監督の長編第3弾。侍として戦っていくことをやめた男と、そんな父を軽べつする娘のきずなや葛藤(かっとう)を、独自の笑いと悲しみを交えて映し出す
主演は、野見隆明
共演は、熊田聖亜、板尾創路、柄本時生、りょう、ROLLY、腹筋善之介
その他、清水柊馬、竹原和生、伊武雅刀、國村隼人など
<ストーリー>
出来事により、侍として戦うことをやめ、刀を捨てた野見勘十郎(野見隆明)。そんな父に対し、娘(熊田聖亜)は反発していた。2人は、あてもなく旅をしていたのだが、無断で脱藩した勘十郎には懸賞金がかけられており、とうとう捕まってしまう。しかし、奇人として世間では有名だった殿様から「30日の業」に成功したら、無罪にすると言われ・・・
いや、参った。
松ちゃんの作品だし、もともと期待していったわけではない。
そして、案の定ツッコミどころは随所にあった。
特に、冒頭の3人の刺客(賞金稼ぎ?)によるシーンは最悪だった。
まず、りょう演じる「三味線のお竜」が、いきなり主人公に斬りかかる。
そして、血しぶきがあがるのだが、倒れることもなく、主人公は逃げ去る。
そして、お竜もその後を追ったりはしない。
だから、このシーンは主人公の妄想だと思っていた。
しかし、直後に、娘が薬草を持って父親である主人公の背中に貼っているシーンが出てくるので、現実の場面ということになる。
続いて、二丁拳銃を持った男が突如現れ、彼の撃った弾が、主人公の後頭部に命中する。
しかし、今度も主人公は倒れることもなく、またまた茂みの中に逃げ去るだけ。
そして、次のシーンでは、今度は頭に包帯のようなものを巻いて寝ている。
しかし、次に天井からぶら下がってきた男が、主人公の首を折る時には、頭に包帯はすでにない。
そして、またまた主人公は死なない。
見ていて、ただ唖然とするだけだった。
しかも、それぞれの刺客たちのネーミングがダサい!
「二丁短銃のバキュン」に「骨殺死のゴリゴリ」だって。
何だよ、バキュンって・・・
とにかく、冒頭から「あちゃ~!」のシーンが続いた。
その後、「30日の業」に入った時も、主人公が殿様の息子を笑わそうとする時の、それぞれのネタが、ダサすぎて笑えない。
ちょっと面白いのもあったけど・・・あんなのより、テレビでみるコントの方がよっぽど面白い。
これが松本人志流の発想なのかも知れないが、誰か止めなかったのだろうか。
たぶん、松本とスタッフとの間では、こんな会話が延々交わされていたのではなかろうか。
松本「二丁短銃のバキュンって、どう?」
スタッフ1「いいっすねえ、バキュン。これ、爆笑ですよ」
スタッフ2「しかも、二丁拳銃じゃなくて、二丁短銃って・・・最高っすよ!」
松本「それから、骨殺死ゴリゴリは、どう?」
スタッフ1「骨殺って・・・ウケる。何か、新しい殺法みたいでカッコいいっすね」
スタッフ2「ゴリゴリも、何すか。笑っちゃいますね」
松本「そして、三味線女の方は、お竜でいいんちゃう?」
スタッフ1「そうすね。ここは、単純にお竜ということで、逆に『何や、普通かい!』というツッコミが入りますよ」
スタッフ2『間違いないっすよ』
つまり、全体を通して言えることは、舞台でのコントであれば、そこそこウケるような単発のネタを、わざわざ映画の中でつないでいるだけなので、見ていて笑えない。
なぜ、舞台なら、こういうのがウケるのか。
それは、タイミングよくツッコミを入れることができるからだ。
ダウンタウンの場合だと、間違いなく浜ちゃんは、どんなしょうもないボケであっても、うまく拾っては、ちゃんとツッコんでくれる。
ところが、映画の中だと、その手の役を誰かがやらないと、寒いボケは、放ったらかしになってしまう。
そこで、松ちゃんは、どうしたか。
それを、娘や門番たち(板尾と柄本)にやらせているのだ。
「う~ん、ちょっとインパクトが足りないなあ」みたいなセリフが随所に出てくる。
しかし、本来板尾はボケである。
しかも、もう一人の門番(柄本)にも、かなり無理なボケをやらせている。
普段、しゃべっている時以外は、ぽかんと口を開けたままにしているのだ。
ただし、「ぼけ~っとしている」わけではない。
ただ、口を開けているだけ。
ものすごく不自然な姿だった。
こんなボケ二人が、主人公のボケの手助けをするわけだから、ほとんどのネタが、ただただスベるだけ。
唯一、娘だけが、まともにツッコんでいた。
長くなってしまったが、実は松ちゃんは、この映画で笑わそうとだけしているわけではない。
最後に、ちょっとした「感動」を用意している。
確かに、意表をついたクライマックスだったように思う。
「ありゃ?」という感じだった。
だけど、そのまま終わらせればまだ良かったものを、ラストでまた余計なことをしている。
娘の前に現れた虚無僧(?)が、いきなり歌いだす、というのは「あり」かも知れない。
そして、殿様の息子が、最後に笑うというのもいい。
しかし、なぜあそこに主人公が再び出てくるんだろう。
「主人公を思い出して」という場面なら、まだわかる。
しかし、あの場面は、どう見たって「主人公は、実は生きていた」という描写だ。
でも、これはまだ許せる。
最後の最後、エンドロールが終わった後に、あるシーンが映る。
あれは、いったい何だ。
というか、何のためにあんなシーンを入れた?
もしかして、「最後に、もう一度意表を突いてみました」っていうつもりか?
つまり、「何かあると思わせておいて、実は何~にもありませんでした~」という意表。
はっきり言って、ムダというか、意味のないシーンだと思う。
たまたまエンドロールが短かったから、たいした「損害」は受けなくてすんだけど、あんまり調子に乗らない方がいいと思う。
「オレは、映画の常識を打ち破りたいんや」とでも言いたげな工夫(?)が、いろいろと出てくるけれど、そういうのは、ちゃんとした映画を作ってからにしてほしい。
だって、松本人志が「映画監督としてどうか」なんて評価はまだ定まっていない、どころか、「こいつ、映画がわかってないな」としか思われていないのだから。
せっかく、伊武雅刀や國村隼などのシブい役者さんを配しながら、それがほとんどプラスになっていない。
ただ、前作ほどヒドくはなかったように思うので、評価としては「C」にしておきます。
やっぱり、私には理解でないようです。
ところで・・・
彼の作品の評価は、いつも両極端に分かれる。
ボロくそ言う人たちは、実際に面白くなかった人たちだろうけど、「何をそこまでムキになって、ベタ褒めしようとするのかね」と思うほどのシンパというか「信者」のような人たちが、相変わらず多い。
無条件で「松ちゃん、最高!」という人たちである。
もしかしたら、一部は皮肉のつもりで、わざとベタ褒めしているのかも知れないが、何をやってもウケる、という人たちは確かにいる。
今日も、若い男で、一人だけ妙にウケているヤツがいた。
まわりがシーンとしていただけに、かなり目立っていたのだけど、どこがそんなに面白かったのか、ぜひ聞いてみたいものだ。

『大日本人』『しんぼる』と、独特の視点と感性で作品を世に送り出してきたダウンタウン松本人志監督の長編第3弾。侍として戦っていくことをやめた男と、そんな父を軽べつする娘のきずなや葛藤(かっとう)を、独自の笑いと悲しみを交えて映し出す
主演は、野見隆明
共演は、熊田聖亜、板尾創路、柄本時生、りょう、ROLLY、腹筋善之介
その他、清水柊馬、竹原和生、伊武雅刀、國村隼人など
<ストーリー>
出来事により、侍として戦うことをやめ、刀を捨てた野見勘十郎(野見隆明)。そんな父に対し、娘(熊田聖亜)は反発していた。2人は、あてもなく旅をしていたのだが、無断で脱藩した勘十郎には懸賞金がかけられており、とうとう捕まってしまう。しかし、奇人として世間では有名だった殿様から「30日の業」に成功したら、無罪にすると言われ・・・
いや、参った。
松ちゃんの作品だし、もともと期待していったわけではない。
そして、案の定ツッコミどころは随所にあった。
特に、冒頭の3人の刺客(賞金稼ぎ?)によるシーンは最悪だった。
まず、りょう演じる「三味線のお竜」が、いきなり主人公に斬りかかる。
そして、血しぶきがあがるのだが、倒れることもなく、主人公は逃げ去る。
そして、お竜もその後を追ったりはしない。
だから、このシーンは主人公の妄想だと思っていた。
しかし、直後に、娘が薬草を持って父親である主人公の背中に貼っているシーンが出てくるので、現実の場面ということになる。
続いて、二丁拳銃を持った男が突如現れ、彼の撃った弾が、主人公の後頭部に命中する。
しかし、今度も主人公は倒れることもなく、またまた茂みの中に逃げ去るだけ。
そして、次のシーンでは、今度は頭に包帯のようなものを巻いて寝ている。
しかし、次に天井からぶら下がってきた男が、主人公の首を折る時には、頭に包帯はすでにない。
そして、またまた主人公は死なない。
見ていて、ただ唖然とするだけだった。
しかも、それぞれの刺客たちのネーミングがダサい!
「二丁短銃のバキュン」に「骨殺死のゴリゴリ」だって。
何だよ、バキュンって・・・
とにかく、冒頭から「あちゃ~!」のシーンが続いた。
その後、「30日の業」に入った時も、主人公が殿様の息子を笑わそうとする時の、それぞれのネタが、ダサすぎて笑えない。
ちょっと面白いのもあったけど・・・あんなのより、テレビでみるコントの方がよっぽど面白い。
これが松本人志流の発想なのかも知れないが、誰か止めなかったのだろうか。
たぶん、松本とスタッフとの間では、こんな会話が延々交わされていたのではなかろうか。
松本「二丁短銃のバキュンって、どう?」
スタッフ1「いいっすねえ、バキュン。これ、爆笑ですよ」
スタッフ2「しかも、二丁拳銃じゃなくて、二丁短銃って・・・最高っすよ!」
松本「それから、骨殺死ゴリゴリは、どう?」
スタッフ1「骨殺って・・・ウケる。何か、新しい殺法みたいでカッコいいっすね」
スタッフ2「ゴリゴリも、何すか。笑っちゃいますね」
松本「そして、三味線女の方は、お竜でいいんちゃう?」
スタッフ1「そうすね。ここは、単純にお竜ということで、逆に『何や、普通かい!』というツッコミが入りますよ」
スタッフ2『間違いないっすよ』
つまり、全体を通して言えることは、舞台でのコントであれば、そこそこウケるような単発のネタを、わざわざ映画の中でつないでいるだけなので、見ていて笑えない。
なぜ、舞台なら、こういうのがウケるのか。
それは、タイミングよくツッコミを入れることができるからだ。
ダウンタウンの場合だと、間違いなく浜ちゃんは、どんなしょうもないボケであっても、うまく拾っては、ちゃんとツッコんでくれる。
ところが、映画の中だと、その手の役を誰かがやらないと、寒いボケは、放ったらかしになってしまう。
そこで、松ちゃんは、どうしたか。
それを、娘や門番たち(板尾と柄本)にやらせているのだ。
「う~ん、ちょっとインパクトが足りないなあ」みたいなセリフが随所に出てくる。
しかし、本来板尾はボケである。
しかも、もう一人の門番(柄本)にも、かなり無理なボケをやらせている。
普段、しゃべっている時以外は、ぽかんと口を開けたままにしているのだ。
ただし、「ぼけ~っとしている」わけではない。
ただ、口を開けているだけ。
ものすごく不自然な姿だった。
こんなボケ二人が、主人公のボケの手助けをするわけだから、ほとんどのネタが、ただただスベるだけ。
唯一、娘だけが、まともにツッコんでいた。
長くなってしまったが、実は松ちゃんは、この映画で笑わそうとだけしているわけではない。
最後に、ちょっとした「感動」を用意している。
確かに、意表をついたクライマックスだったように思う。
「ありゃ?」という感じだった。
だけど、そのまま終わらせればまだ良かったものを、ラストでまた余計なことをしている。
娘の前に現れた虚無僧(?)が、いきなり歌いだす、というのは「あり」かも知れない。
そして、殿様の息子が、最後に笑うというのもいい。
しかし、なぜあそこに主人公が再び出てくるんだろう。
「主人公を思い出して」という場面なら、まだわかる。
しかし、あの場面は、どう見たって「主人公は、実は生きていた」という描写だ。
でも、これはまだ許せる。
最後の最後、エンドロールが終わった後に、あるシーンが映る。
あれは、いったい何だ。
というか、何のためにあんなシーンを入れた?
もしかして、「最後に、もう一度意表を突いてみました」っていうつもりか?
つまり、「何かあると思わせておいて、実は何~にもありませんでした~」という意表。
はっきり言って、ムダというか、意味のないシーンだと思う。
たまたまエンドロールが短かったから、たいした「損害」は受けなくてすんだけど、あんまり調子に乗らない方がいいと思う。
「オレは、映画の常識を打ち破りたいんや」とでも言いたげな工夫(?)が、いろいろと出てくるけれど、そういうのは、ちゃんとした映画を作ってからにしてほしい。
だって、松本人志が「映画監督としてどうか」なんて評価はまだ定まっていない、どころか、「こいつ、映画がわかってないな」としか思われていないのだから。
せっかく、伊武雅刀や國村隼などのシブい役者さんを配しながら、それがほとんどプラスになっていない。
ただ、前作ほどヒドくはなかったように思うので、評価としては「C」にしておきます。
やっぱり、私には理解でないようです。
ところで・・・
彼の作品の評価は、いつも両極端に分かれる。
ボロくそ言う人たちは、実際に面白くなかった人たちだろうけど、「何をそこまでムキになって、ベタ褒めしようとするのかね」と思うほどのシンパというか「信者」のような人たちが、相変わらず多い。
無条件で「松ちゃん、最高!」という人たちである。
もしかしたら、一部は皮肉のつもりで、わざとベタ褒めしているのかも知れないが、何をやってもウケる、という人たちは確かにいる。
今日も、若い男で、一人だけ妙にウケているヤツがいた。
まわりがシーンとしていただけに、かなり目立っていたのだけど、どこがそんなに面白かったのか、ぜひ聞いてみたいものだ。
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